ningen1000mgの日記

思考という心臓

脳内遊泳

先月、TinderがBANされた。何かのバグで多重ログインしたので直接的な原因はそれなのだが、それまでも結構アカウントロックされていたので人の怒りと同じように何かの積み重ねだろう。

地元にいる時から多くの休止期間を含めて3年くらいは使っていたアプリだった。小学生時代からHabboHotel・アメーバピグという仮想空間ゲームやOmegle・ChatPadというランダムチャットサイトを頻繁に使用していた私にとっては、似たような感覚で他人と話せる上に会って友達を作ることができる画期的なアプリだった。Tinderのおかげで夜中の海を知ったり、Nintendo Switchが手に入ったり、住む場所を確保したりできた。元ホストや医者など、普通に生きてたら交流する機会がない人間と仲良くなったのは良い思い出だ。もう誰とも関わりがないけれど。

一般的な目的である異性間の関わりというよりは私は非日常的な経験が手に入るアプリとして評価していた。それが、一切使えなくなった。TinderがBANされる数ヶ月前から本格的に婚活をしようと他の真面目寄りなアプリを利用していたが、それは相性が悪く使うメリットがほとんど無かった。ただ、結婚するための機会を失うべきではないだろうという一心で使い続けていた。だからTinderがBANされた時は「ちゃんと婚活しろという神からのお告げだろう」と思うことにしたが、つまらないアプリを我慢して使ったところでつまらないものはつまらなかった。

マッチングアプリを使用している間は高確率でストレスが生まれ、辞めたいと思うことが多かった。数多くの見たくないものを左に流した上で、右に流して始まったもののそれが不快につながることも多い。

この先どうしようと思っていたところ、好きだった人から久しぶりに連絡が来た。それを機に、マッチングアプリが汚らわしく感じられ全て削除した。もう嫌だ辞めたい!と思いアンインストールしてはすぐ物足りなくなって再インストールしていたくらいにはアプリの存在に依存していたのに、まるで生まれ変わったようだ。

マッチングアプリがない生活は毎日が清々しくストレスがない。いいねが何件来たかとか、メッセージを返さなきゃいけないとかそんなことを考えなくて良い。やってるだけでカレンダーの予定が埋まり無駄に忙しくどうせブロックする相手と外食をする必要もなくなった。

今は毎日好きだった人のことを考えて趣味がダイエットになりつつあるが、別に少し連絡を取る機会があっただけでその人は私のことを何とも思っていないので何の意味もない。ただ、その人から連絡が来たという事実をダシに勝手に数週間信仰させていただいている。会えるわけでもない会話もしない、存在するだけで嬉しいし日々頑張れるなんて立派な宗教だ。

偶像に思いを馳せる毎日、幸せなら何も問題はないのだが、あえて現実に目を向けるとしたら私自身のステータスは何も変わっていない。彼氏はいないし近隣の友達も別に私を必要としていない。出会いもない。正直結婚と出産もどうでもよくなってきた。 この先孤独を避けるための準備が全くできていない。孤独死まっしぐら。

 

本日は予定を入れなかった中で桜を見に行こうと思い、公園を散歩した。家族連れに囲まれて悲しくなり「本物のひとりぼっちなのに頑張って生きててえらすぎる」と自分を励ますことしかできなかった。

周りの友人は実家暮らしか、実家が県内で近いとか、交際相手と同棲しているとかそんな人ばかりだ。実家が遠くて一人暮らしをしているような人間は私だけで、誰も仲間はいない。この道を選んだのは自分なのでそれに不平不満を問う気はさらさらないが、ふとした瞬間に「ああ、私だけが本当に一人だなぁ」と思ってしまう。SNSで不満を垂らしている人の近くには家族がいる。一方私は咳をしたところで一人なのだ。

とはいえ無闇矢鱈に食べ物を貪ってしまう実家での生活は望まないし、今の仕事には満足しているので、ライフスタイルは変える気はない。

この彼氏がいないという状況を何とかすることが一番必要なのだが、マッチングアプリももうやりたくない中でどうしたらいいのか。分からない。

今私が最優先したいのはダイエットすなわち毎日のカロリーとPFCバランスをあすけんの言う通りにし、日々運動に励むことだけだ。これは楽しい。楽しいけど、ダイエットしていない時間に孤独感に襲われる。そのうち偶像崇拝にも飽き、ダイエットの目的も曖昧になってしまうだろう。

マインドフルネスに則って、無意味に未来の心配をしないようにしているが、未来のための準備=行動は必要だ。それに気付けている時点でスタートラインには立てているはず。あとは運とタイミングだよねー。

 

〜10年後〜